ドン、ダダダダダー、ユッサユッサユッサ・・・・、何の前ぶれもなく強烈な揺れが襲った。2016年4月14日午後9時26分ごろ、熊本地方を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生。御船町は震度5強、隣接する益城町では、震度7を記録した。
地震発生当時、分析室に残って仕事をしていた林学芸員は、近くにあった顕微鏡を必死に押さえ、強い揺れが収まるのを待った。地震直後の1時間は電話がほとんどつながらない状態。地鳴りと余震が続く中、直ちに館内を点検した。阪神大震災では、地震後の火災によって被害が拡大したことが頭をよぎった。翌朝から休館し、被害状況の把握に追われた。まず、図面に損傷箇所を記録し、写真を撮影した。電気・機械設備に異常がないか確認した。さらに強い余震が予想されたため、標本や機材を安全な場所に移動させた。余震も続いており、夜間待機が決まった。
日付が変わった4月16日の午前1時25分、再び強烈な揺れが襲った。研究室の書棚は転倒し、一瞬で部屋の中はめちゃくちゃになった。巨大な地震の力の前には何もできず、研究作業室に待機していた私は目の前のパソコンを手で押さえるのが精一杯だった。
「まさか熊本でこんなに大きい地震が起きるとは・・・」。地震直後、こんなコメントが繰り返し報道され、愕然とした。最初の地震の震央は御船町北部の高木付近とされる。日奈久断層と呼ばれている活断層が通過している地域だ。この断層の活動の履歴は地形や地質構造によく表れており、大昔からこの断層が何度も動いてきたことがわかる。考えてみれば断層が動くときには必ず大きな地震を伴っていたはず。その変位から過去に何度も大きな地震が起きたことは容易に想像でき、いずれ「その時」がやってくるという認識はできていた。しかし、その時間軸の長さから、我々も含めて多くの人が差し迫った危機として捉えることはできていなかったのだ。
余震が続く中、復旧作業へ
博物館には貴重な資料が数多く保管されている。可動式の棚は免震機構が働き、貴重な化石が落下することはなかったが、棚を支えるレールが揺れに耐えきれず曲がった。一方、固定棚のキャビネットは、固定用のボルトを弾き飛ばし、ほとんどが棚から飛び出し倒れた。
展示中の貴重な化石はほぼ無事だったが、アクロカントサウルスの全身骨格の頭部(レプリカ)が落下し、粉々に割れた。「1日も早い復旧を・・・」と、スタッフが協力して作業にあたり、5月上旬には何とか開館できる状態にまで応急処置が進んだ。
災害、博物館にできることはなにか?
博物館は役場とも隣接し町の中心部に位置しているため、地震発生直後から、建物の一部が支援物資の集荷場や罹災証明発行の家屋調査の本部として使われてきた。災害時には人命と生活基盤の確保が最優先である。町全体の判断として当分の間休館が決まった。
「今、この博物館に何ができるのか?」焦りと無力さを感じる日々が続いた。ゴールデンウィークから地域の子どもたちの休日の居場所として、工作教室や化石のクリーニング体験、学芸員によるトークなどを行った。それは6月末まで続き、週末はたくさんの子どもたちで賑わった。
博物館は資料を後世に残すという使命を持っている。博物館所蔵の資料を守るという観点では防災計画を立てやすいが、野外や個人が所蔵する文化財等にはほとんど対策ができていない。考古・歴史・民俗・美術・自然史など、それぞれ分野は異なるが、地域共有の財産であることには変わりない。今後は、分野を超えた博物館の連携についても議論が必要になってくるだろう。
2016年7月24日、地震発生から101日ぶりに開館した。子どもたちの元気な声が響く恐竜博物館の日常が少しずつ戻りつつある。ここは化石が眠る大地の生い立ちをテーマとする博物館でもある。たびたび災害をもたらす日本の大地。この生い立ちを学ぶ機会を創り出していくことも、私たちに課せられた大きな使命である。
文:池上直樹 写真:池上直樹・山下雄大・廣瀬陽子・岳本紗代子
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